西部ライオンズ時代の松坂大輔投手(2006年)

 第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に日本代表として出場しました。3月4日の台湾戦では4回1失点、3月14日のメキシコ戦では5回無失点、そして3月20日のキューバとの決勝戦では、試合前に首を痛めながらも気合の投球で4回1失点に抑え、先発したすべての試合で勝利投手になりました。

結果的に、大会最多となる3勝、防御率1.38という成績が高く評価され、大会の最優秀選手(MVP)に選ばれました。

 

 

 しかし、このWBC戦は厳しいものがありました。日本は3月12日のアメリカ戦は審判の意図的とも思える誤診により、3-4で負け、3月14日のメキシコ戦で6-1で快勝しましたが、翌3月15日の韓国戦で1-2で惜しくも負けてしまい、自力での決勝戦への進出はできなくなりました。

 ところが、翌日の3月16日アメリカ対メキシコ戦で、メキシコが頑張り、日本、アメリカ、メキシコが1勝2敗で並び、得失点差で日本が2次予選リーグで2位となり、決勝リーグに進出できたのです。その神がかりともいえるチャンスを生かし、決勝リーグでは全勝の韓国を破り、キューバを破り、見事優勝し世界一となったのです。

 6月9日のセ・パ交流戦・対阪神戦で1失点完投勝利を収め、高校時代に大活躍した甲子園でのプロ初勝利を記録し、自ら本塁打も打ちました。

  6月16日のセ・パ交流戦・対横浜戦で、江川卓(所要193試合)を抜きドラフト制度導入後最速(191試合)の100勝を達成しました。その後、同年8月25日に上原浩治(巨人)が同じ191試合での100勝を対阪神戦にて達成し、松坂の記録は最速タイとなりました。

  10月7日、ソフトバンクとのプレーオフ第1ステージ初戦に先発。厳しい内角攻めで4死球を与えましたが、斉藤和巳との熾烈な投げ合いを制し1-0で完封勝利を挙げました。チームはその後2連敗し第1ステージで敗退したため、この試合が松坂の渡米前の最後の公式戦となりました。

 ポスティングシステムを利用してメジャーリーグに移籍したいという松坂の要望を西武が受け入れ、同制度の利用を11月1日に正式に表明。11月15日にレッドソックスが5111万1111ドル11セント(約60億円)で独占交渉権を獲得したことが発表され、12月15日、レッドソックスとの契約が正式に発表されました。

 AP通信によると、契約内容は6年総額5200万ドル(約61億円)。1998年の夏の甲子園の時からレッドソックスは松坂に注目しており、同球団のスカウトが決勝戦の試合を観戦していました。レッドソックスファンであるクリストファー・ヒル国務次官補は、六カ国協議が行われる北京への出発前に記者会見で「今日のマツザカの交渉はどうなった?」などと松坂のことを気にかけていました。

 

トラックバック

トラックバックURL:
http://www.hls-j2006.com/mt/mt-tb.cgi/588