22歳 それぞれの春

22歳 松坂ジェネレーション それぞれの春 1/8

1980年、長嶋茂雄が巨人軍の監督を解任され、グランドを追われた。。。

同じ年、何人かの少年たちが産声を上げた。18年後新しい物語を作ることになる子どもたち。。。

新垣 渚  150キロの剛腕投手(2003年 福岡ダイエーホークス入団)

古木 克明  ポスト松井のホームランバッター(1999年 横浜ベイスターズ入団)

和田 毅  江川 卓の6大学奪三振の記録を塗り替えた(2003年 福岡ダイエーホークス入団)

そして、主人公・松坂大輔 彼の巨大さはライバルたちを、物語の渦に飲み込んだ。。。。。

 



22歳 松坂ジェネレーション それぞれの春 2/8

1998年11月20日 ダイエーを志望していた新垣 渚を1位指名したのがオリックスだった。

しかし、新垣 渚は大学進学の道を選んだ。。。。

事件は、一週間後に起きた!!

交渉を担当してたオリックスのスカウトが自殺した。

少年の背に重すぎる十字架! 新垣は食事もろくにとれなくなり、野球をやめてしまおうかとまで追い込まれた。。。。

 



22歳 松坂ジェネレーション それぞれの春 3/8

準々決勝で見せたPL学園対横浜高校の死闘!甲子園の土に伝説の物語を書きしるした延長18回の戦い!

あの夏のPL学園のエース・上重 聡。

彼は立教大学2年の時、6大学野球史上2人目の完全試合を成し遂げた。

 

その時、松坂は言った。。。。。

 



22歳 松坂ジェネレーション それぞれの春 4/8

PL学園6番ファースト・三垣勝巳。チームメートは言う「彼こそチームの柱だ!」

彼は北海道網走に新たに新設された東京農大生産学部野球部キャプテンで、4年連続全国大会に導いた。

高校2年のシーズン中に父が病で倒れた。心配させないようにと1カ月知らせなかったが、彼は悩んだ。。。

高校もやめて働こうかと。。。しかし、父は彼に言った、

「俺のために続けてくれ! プロになる約束だろ。。。。」

 

あの夏のPLの4番・古畑和彦。名門亜細亜大学野球部に行った。しかし、センターグランドには彼の姿がなかった。

 

 



22歳 松坂ジェネレーション それぞれの春 5/8

亜細亜大学野球部キャプテン・小山良男。横浜高校野球部キャッチャーであった彼は、あの夏、松坂の速球を受け続けた。

さまざまな意味で、松坂は光だ!

光が強ければ、影もまた濃い。

百の努力は、一つの才能に劣るのか。。。。

母は末っ子の努力の向こうに明日を見ていた。。。。

 



22歳 松坂ジェネレーション それぞれの春 6/8

小山良男は亜細亜大学での4年間、もう一人の才能が放つボールを受け続けてきた。

木佐貫洋、巨人の自由獲得選手だ。

エース木佐貫を要する亜細亜大学は大学野球4回完全制覇を成し遂げた。

 

小山はこれで、中学、高校、大学と全国制覇を成し遂げたことになる。

母ならずともプロから声がかかるのは、自明のことと思えた。。。。

 

 



22歳 松坂ジェネレーション それぞれの春 7/8

あの夏を戦った男たちが自分の道をさがし、そして見つけた。。。

帝京高校出身・関 泰章は、ジュニアリーグ全日本選抜チームの時、松坂に出会った。そして、今も交友は続く。

あの甲子園ではピンチヒッター1打席、松坂と戦った。

関は、俳優の道を選んだ。。。。

   

アメリカに夢を追い続ける仲間もいる。

星稜高校出身・伊丹純一は、大学にも行かずアルバイトに明け暮れた。

青山大学野球部にどうしてもなじめず、3年のとき部を去った。

伊丹はアルバイトで200万円貯めた。それを資金にアメリカに飛んだ。。。

  

  



22歳 松坂ジェネレーション それぞれの春 8/8

あの夏を戦った友は、松坂にこう言っている、「野球では負けたが、人生の勝利者はオレだ!」と。

松坂世代と呼ばれる男たちは、彼を相手に最も激しく燃える!!