西部ライオンズ時代の松坂大輔投手(2004年)

 7月10日のオールスター第1戦で2番手として登板し、2イニングを無安打無失点で4奪三振という好投を披露し、自己最速タイとなる156km/hも記録しました。本塁打を2本以上打った選手がいなかったこともあり、松坂がこの試合のMVPに輝きました。

   アテネ五輪の野球日本代表に選ばれ、8月17日(現地時間)のキューバ戦に先発。4回にユリエスキー・グリエルの打球を右腕に受けるアクシデントに見舞われるも、8回まで無失点に抑える力投を披露し、完封も期待されました。

 

 

 結局、9回に3点を失ったものの、石井弘寿(ヤクルト)のリリーフで逃げ切り、松坂は五輪での初勝利を手にしました。中5日で先発した8月24日の準決勝・オーストラリア戦では、8回途中まで1失点の好投も報われず、0-1で惜敗して金メダルの夢は消えました。チームは翌日、カナダとの3位決定戦に勝利し、松坂は銅メダリストとなりました。

 レギュラーシーズンは2位に終わったものの、この年から導入されたプレーオフの第1ステージで3位の日本ハムと対戦。第1戦では、8回途中7失点と打ち込まれたものの、打線の援護で勝利投手となりました。

 ダイエーと争った第2ステージでは第2戦に先発し、完封ペースだったのですが、打線の大量援護もあり、6回無失点で余力を残して降板。これが功を奏し、最終の第5戦に中3日で先発が可能となって、6回1失点の力投を見せました。勝利投手にはなれなかったものの、チームは延長10回の末に4-3で勝利し、リーグ優勝を果たしました。

 中日との日本シリーズでは、まず第2戦に先発。立浪和義に同点3ラン本塁打を打たれるなどし、6回1/3を8失点で敗戦投手。2勝3敗と王手をかけられた第6戦では、苦しみながらも8回2失点でしのぎ、勝利投手となって逆王手をかけました。翌日の第7戦には中継ぎで3番手として登板し、日本一に貢献しました。この直後に柴田倫世との結婚を発表しました。

 11月11日の日米野球第6戦に先発し、1失点完投勝利。アメリカ選抜チーム相手の完投勝利は、荒巻淳(毎日)以来、51年ぶり史上2人目の記録となりました。

 

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