はじめに(皇居参観にあたり)
皇居は天皇皇后両陛下がお住いの御所や宮殿そして宮内庁庁舎などの建物がある「吹上御苑地区」と東側の江戸城跡の「皇居東御苑地区」とでなっています。
「皇居東御苑」は予約無しで見学できますが、宮殿などがある「吹上御苑地区」を参観するには予約申請が必要ですが、どちらも無料で見学できます。
江戸時代の徳川幕府より、明治天皇、大正天皇、昭和天皇と日本の中心として存在している皇居は、日本国民なら一度は行っておくべきところですね。
参観の予約方法や皇居内の主要箇所の様子を説明してますので、見学の際に役立てていただけたら幸いです。
ちなみに、みなさんは「二重橋」と言うと、どの橋を思い浮かべますか?
正解は、この中で。。。
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国旗国歌の起立訴訟 「合憲」と最高裁法廷判断
国旗に向かっての起立や国歌斉唱を命じた校長の職務命令に反したことを理由に、懲戒処分を受けたのは違法として、東京都の公立中学校教諭ら3人が損害賠償を都に求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は14日、教諭側の上告を退け、職務命令は合憲との判断を示し教諭側の敗訴が確定しました。
職務命令は間接的に思想と良心の自由の制約になり得るものの、「職務上、命令に従って職務を遂行すべき地方公務員の立場や、式典の円滑な進行を図る目的などから、制約を許容できる必要性、合理性が認められる」と指摘。思想と良心の自由を保障する憲法19条には違反しないと結論付けました。(2011.6.14 産経 ニュースより)
私には、なぜ国旗に向かって起立したくないのか理解できませんし、国歌を歌うときに起立したくないことも理解できません。サッカーの試合でも、ボクシングの試合でも、お相撲の表彰の時でも、オリンピックや世界大会などの国際試合など、みんな国旗を見上げながら国家の君が代を声高らかにうたいます。
訴訟を起こした先生方は、そんなときでも起立しないで、国歌も歌わないのでしょうか?周りの人がみんな起立しているのに、自分だけが座っているなんて、恥ずかしいですよね。
世界に対して自分たち日本の国を誇りに思い、また日本人であることに喜びを持てないなんて、あまりにも寂しいと思います。同じ日本人として、そんな先生方をかわいそうと思いますし、そんな先生がいる学校には、子供を預けられませんね。
衆院解散は天皇の国事行為のひとつ
今、永田町では衆院解散の時期をめぐって浮足立っている感があります。
衆院解散は、憲法で規定されている天皇の国事行為で、内閣の助言などに基づき天皇が行いますが、7月3日から17日まで、カナダとハワイを公式訪問する予定になっていて、天皇・皇后両陛下は日本にいらっしゃいません。
現行の憲法が施行された1947(昭和22)年5月3日以降、これまで20回、衆院が解散されましたが、いずれも天皇が外国訪問中でない時期に実施され、天皇がご不在の内に解散をした例は今までにはありませんでした。
2000年6月2日の森内閣の解散のとき、外国訪問と解散時期の関係に注目が集まりましたが、天皇陛下の訪欧期間中(同年5月20日~6月1日)を避けたとされています。
法律的には、天皇の外国訪問中は、事前に臨時代行の委任を受けた皇族が国事行為を代行できます。今回は、臨時代行を務める皇太子さまが衆院を解散することも法律上は可能ですが、ただ、その場合、陛下不在中の強引な解散と国民から批判を受けかねないといわれています。
石原知事・最終プレゼン
2016年のオリンピックを東京で!ということで、石原慎太郎東京都知事はスイスのローザンヌで、国際オリンピック委員会(IOC)の委員に対し最終プレゼンテーションを行いました。
石原知事の話では、「プレゼンは完ぺきで問題はなかった。」とのことですが、100人余りの、それぞれ立場や考え方の違う委員に訴えるのは大変難しいことで、どのような評価になるか分からないとのことでした。
天皇・皇后両陛下、シンガポール大統領夫妻招き晩餐会
天皇・皇后両陛下がご出席の国賓の歓迎行事は、東京・元赤坂の迎賓館で行われてましたが、両陛下のお身体などの負担軽減のため、原則として皇居・宮殿東庭で行われるようになり、今回のシンガポール大統領ご夫妻の歓迎晩さん会は宮殿の大食堂「豊明殿」で開かれました。
シンガポールはハイテク・システムを構築しているの国で有名ですが、そのハイテク技術のほとんどが日本からの技術なのです。
しかし、日本の国としてはハイテクシステムになっていませんが、これら実行するかどうかは国のリーダーの実行力や先見の目などの「差」と言えるでしょう。(悲しい事です。。。)
両陛下、結婚50年 二人三脚で“平成流皇室”
4月10日は天皇、皇后両陛下のご結婚記念日です。今年は50年目に当たり「金婚式」になります。一般市民が初めて皇室に嫁がれることで大変話題になりましたし、新しい皇室として市民から大変歓迎されました。
美智子さまのご苦労も大変なものであったことと思いますが、皇室のいろいろなしきたりも変えてゆき、開かれた皇室のイメージを作られました。
(2009年4月10日(金)07:57共同通信)
天皇、皇后両陛下は10日、1959年の結婚から50周年を迎えられた。半世紀にわたって二人三脚で伝統を守りつつ新しい風を吹き込み、象徴天皇制の下で初めて即位した天皇、皇后として、国民とともに歩む“平成流の皇室”を築いた。この日に先立つ記者会見で「50年間よく努力を続けてくれました」(陛下)、「家族にも深い愛情を注いでくださいました」(皇后さま)と労をねぎらい合った。
昭和天皇の太平洋戦争終結の決意
東京大空襲の戦渦を視察し、関東大震災につづく帝都の破壊に直面した昭和天皇は、これをもって終戦を決意したと後に述懐しています。
8月9日にポツダム宣言受諾決議案について長時間議論したが結論が出なかっため、首相・鈴木貫太郎の判断により天皇の判断(御聖断)を仰ぐことになりました。 昭和天皇は受諾の意思を表明し、8月15日、玉音放送をして終戦となりました。
後に昭和天皇は侍従長の藤田尚徳に対して「誰の責任にも触れず、権限も侵さないで、自由に私の意見を述べ得る機会を初めて与えられたのだ。だから、私は予て考えていた所信を述べて、戦争をやめさせたのである」「私と肝胆相照らした鈴木であったからこそ、このことが出来たのだと思っている」と述べておられます。
昭和天皇と太平洋戦争の関係だけでなく、なぜ太平洋戦争は起きてしまったのか、各戦地での出来事、作戦内容はどうだったのか、太平洋戦争の開戦から終戦までの3年8カ月の記録を集大成したDVDが発表されました。
全国民を巻き込んだ太平洋戦争の実態を現代を生きるすべての人に伝えたい内容です。
過去を学び、平和の尊さを実感してほしいのです!!
太平洋戦争末期と昭和天皇
太平洋戦争 末期のころは文字通り世界中で日本軍が戦火をあげていた状況で、昭和天皇は各地の戦況を淡々と質問していました。この点で昭和天皇の記憶力は凄まじいものがあったと思われ、実際に幾つか指示等もしていました。
戦争当時、皇室は大銀行や国策会社の大株主であり、戦時経済は皇室財政の拡大に貢献しています。
1945年(昭和20年)1月6日に、連合国軍がルソン島上陸の準備をしているとの報を受けて、昭和天皇は木戸幸一に重臣の意見を聞くことを求めました。この時、木戸は陸海両総長と閣僚の召集を勧めていたのです。 準備は木戸が行い、軍部を刺激しないように秘密裏に行われ、表向きは重臣が天機を奉伺するという名目でした。
そのなかで特筆すべきものとしては、2月14日に行われた近衛文麿の上奏があります。近衛は敗戦必至であるとして、和平の妨害、敗戦に伴う共産主義革命を防ぐために、軍内の革新派の一味を粛清すべきだと提案しています。
昭和天皇は近衛の言うとおりの人事が出来ないことを指摘しており、近衛の策は実行されませんでした。近衛が共産主義革命を恐れた背景としては、皇室が日本最大の富豪であり資本家であった事実があるからです。
避けられない太平洋戦争の御前会議で。
太平洋戦争は、第二次世界大戦の局面の一つで、1941年12月8日の大本営発表日から1945年8月15日の玉音放送を経て、9月2日に降伏調印の期間における、日本と、連合国(主にアメリカ・イギリス・オランダなど)との戦争で、昭和天皇は、大日本帝国陸海軍の最高指揮官にあたります。
1941年(昭和16年)9月6日の御前会議で、対英米蘭戦は避けられないものとして決定されました。天皇陛下は御前会議では発言しないことが通例となっていましたが、昭和天皇はこの席で敢えて発言をし、明治天皇御製の
「四方の海 みなはらからと 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらん」
(四方の海にある国々は皆兄弟姉妹と思う世に なぜ波風が騒ぎ立てるのであろう)
という短歌を詠み上げました。このことから推察できるように昭和天皇ご自身は開戦には消極的であったと言われています。
アフリカ首脳を歓待 皇居で宮中茶会
天皇皇后両陛下のご主催の宮中茶会にアフリカ各国の元首が招かれました。アフリカ各国とは違った宮殿の文化に触れられ、日本の良さやこころを少しでも理解し、今後の両国の良き関係にやくだててくれることを望みます。
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第4回アフリカ開発会議(TICADIV)に出席した各国首脳らを歓待する天皇、皇后両陛下ご主催の宮中茶会が30日、皇居・宮殿で開かれた。両陛下と皇族方が国際親善に努められた。
茶会には会議に参加したアフリカ諸国のうち、29カ国の元首ら38人が出席。バス6台に分乗して皇居を訪れた元首らは雅楽が演奏される中、宮殿「春秋の間」に到着。その後、両陛下、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻、常陸宮ご夫妻が入室し、元首らと和やかに談笑された。
また乾杯のあいさつでは、天皇陛下が同日閉幕した会議に触れ、「この会議がアフリカ諸国民の幸せに寄与する、意義深いものとなったと、期待しております」と述べられた。
皇居は「クールアイランド」…
東京はコンクリートジャングルといわれ、日中、真夏の太陽に焼かれたビル群は、夜になっても冷えることがなく熱い東京の夜を作り出している。
とくに、東京湾岸のウォーターフロントにホテルなど高層ビルが立ち並び、海からの風を壁のように遮っていることも、熱い東京の原因でもある。
そんななかで、皇居の夏の気温は周辺より約2度低く、流れ出す冷気が周りの暑さを緩和していることが、環境省が4日発表した観測結果でわかった。冷房の排熱などが気温を押し上げる都会の暑苦しいヒートアイランドの中で、皇居は「クールアイランド」になっていた。
広大な敷地の皇居には、多くの木々が茂り、土によって気化現象などにより温度を下げているようだ。東京駅周辺で進む都市再開発計画などでは、ビルの屋上を緑化することにより温度を下げ環境にやさしい街づくりを目指しており、この皇居の温度現象は心強いものになる。
観測によると、緑に包まれた皇居内の平均気温は、昼夜を問わず周辺市街地より1・4~2・2度低く、最高気温が35度以上の猛暑日は、周辺では8日だったのに対し、皇居内では2日だった。
風が穏やかな夜間は、皇居の西側約250メートルまで冷気がしみ出して気温を下げていた。また、南風が吹いたときは冷気が北側350メートルまで運ばれたという。
暑い夏の夜は、皇居周辺の散歩で夕涼みをするのもいいでしょう。